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  東日本大震災総括


2011年は大きな地震に見舞われました。
特に、広い範囲で今までにない地盤の剥離があったので、大型の津波となってしまいました。

今まで発生した大型地震を想い起こし、来るべき大震災に備える必要があると思います。
流れを順番に解説します。



1.濃尾地震

1891年10月28日、岐阜県でM8.0〜8.4の日本最大級の大地震が発生。
関東大震災M7.9の約4倍のエネルギーの直下型でした。



・本巣市の断層


・断層博物館



2.東日本大震災

2011年3月11日、宮城沖で発生。
関東大震災の約90倍のエネルギーの特殊な地盤の隆起で、猛烈な津波が発生しました。


黄色の範囲で陸側プレートが太平洋プレートに押し上げられ隆起し、特に右にせり出した舌先が大きく跳ね上がりました。



普通の固着剥離(左の中層剥離)と、浅い部分の剥離隆起があり、陸側プレートが50mも東にすれを生じて10mほど隆起しました。
150kmx40kmの範囲が10m程度持ち上がったのです。つまり高さ10mの水槽から600億dの水が崩れ落ちたと同じです。



3.大川小の84人忘れない…名前刻んだ慰霊碑建立

 津波で犠牲となった大川小の児童、教職員の名前が刻まれた慰霊碑の前で涙を拭う保護者ら
(25日午後2時53分、宮城県石巻市で)=飯島啓太撮影


 東日本大震災で児童と教職員計84人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市立大川小学校の校庭に、慰霊碑が建立された。
 中央の石碑には「恩愛」の2文字と、犠牲者一人ひとりの名前が刻まれ、左右に、震災前の校舎の姿や校歌などを記した石碑が置かれている。
 25日には慰霊碑前で法要が行われ、児童の保護者ら約200人が参列。小学2年の長男が犠牲となった遺族会副会長の大槻清勝さん(38)が「震災から2年5か月が過ぎたが、多くの遺族が非現実的な日常を過ごしている。心の傷が癒えることはないが、手を取り合い、一緒に進んでいきましょう」とあいさつした。
 多くの親が、我が子の名前を見つめ、花を手向けた。小学6年の三男を亡くした46歳の男性は「一人ひとりの名前を見て、改めてたくさんの子供が亡くなったという事実を突きつけられた」と目を赤くした。「慰霊碑の建立が区切りになるという人もいるが、『助けることができたかもしれない』との思いは強く、ここに来ると悔しさがこみ上げてくる」と語った。
(2013年8月26日10時26分 読売新聞)



4.大川小学校の悲劇

あの日に大川小学校の教諭の誰かが「南の山に駆け上れ!」と
号令してくれていたら、こんな悲しいことは起きなかったのに。
どんなに足に障害があっても、5分で全員が山に上がれたのに。


200m西を流れる北上川は多分、海面が下がったために、
ゴウゴウと音を立てて流れていたはずではなかったか?
その流れを右に見ながら、揃って橋の方に歩いていた!!!

津波の引き波(20m)


後悔先に立たず。

大川小で追悼法要 遺族ら百数十人出席



東日本大震災の津波で、児童と教職員計84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校の校舎前で3日朝、追悼法要が営まれた。遺族ら百数十人が出席。時宗総本山(神奈川県)や県内の寺院の僧侶20人以上が読経し、焼香が行われた。
宮城県登米市の常楽寺の佐々木文海住職は「ここに来た時はあまりの変わりように声もなかった。1年前でも遺族にとっては昨日のことのようだろう。祈りを捧げ、少しでも癒やされるならば」と語った。
同小の惨事について、石巻市教委は1月に学校側の責任を認めたが、遺族からは疑問の声が出ており、今月、保護者に4回目の説明会が予定されている。



5.次に発生が心配されるのは、以前発生のA=関東、B=東南海、C=南海の連合発生に追加して、E=南海トラフなどです。

上と同じ浅層の跳ね上がりが有れば、同じ傾向になります。
(図には先の富士山噴火の堆積物厚さが記入されています。)


6.また、房総半島先端あたりがヤバイかも知れません。
数値は、年間の隆起cmです。



ここで発生すれば、第二関東大震災になります。
その時には、鎌倉辺りに14mの津波が押し寄せるかも!!!





7.1999年9月21日に、台湾中部で発生した写真です。



以上は日経サイエンス(2012.02)とネット情報です。